2013年1月31日木曜日

宇宙人

宇宙人と呼んでいる人がいる。商社時代の取引先でいつも不思議な何かを運んでくる人だ。この人と岡山に出張したとき前泊の夜の食事の際に農業を勧められ、経済書を2冊プレゼントされ、読みきったときには会社を辞めて農業をしようと思っていた。
会社を辞める直前1回、農業を始めてから2回、農業関係の相談をしに行ったがいつも話が噛み合わなかった。彼が何をしようとしているか具体的に分からなかったのだ。分からないのだが僕を必要としててくれているようだった。それから後も連絡は取り続けていて、先日岡山で会おうと誘いがあった。
今日は今まで以上にはっきりと求められていることを感じた。
ギブ&テークが成り立つなら賭けてみてもいい。

2013年1月30日水曜日

カンパリの種

今年の露地の夏秋トマトにはかねてから気になっていたカンパリをすることにする。カンパリはオランダのエンザ社の品種で日本には大分にディストリビューターがいる。今日はその人から連絡を貰った。
種は一粒65円、500粒単位で販売するそうだ。テストだと言うとサンプルを少し無料で分けてくれると言う。話が分かる人だ。
楽しみに待とう。

2013年1月29日火曜日

就農計画審査会

いわゆる青年就農給付金を手にするため県の研修生になろうとしている。今日はその中間ステップで先日提出した就農計画が県民局に審査される日だ。
就農計画とは何か・・・。
僕がどんな農業を目指しているか、就農1年目、5年目にどんな経営状態を目標にしているか、技術習得の方法はどうするか、貯金は、家族の理解は、など、県の要求する書式に必要事項を記入したものだ。
そして審査する側は、就農計画が現実的であるかを審査する。
審査会では自己紹介・就農を目指した理由をお役人の前で話すところから始まる。
今日が本番なのだが事前に2回打ち合わせがあったので、とにかく承認された。
しかし、何に承認されたんだろう?コレで認定就農者になれたのだろうか。

2013年1月28日月曜日

大先生

今日はJAの病害虫の大先生が来てくれていろいろ教わった。ご一行様にもいろいろ教えてもらった。そのおかげで今後の予防と作業の方針ができた。
病害虫の診断というのは簡単ではない。診断なのだから間違うこともあるし知らないこともある。

2013年1月27日日曜日

休日出勤

残念ながら今日も仕事をする。フルティカの収穫とホルモン処理を4時間かけて完了させた。
日本では割と休日出勤はガッツの表れとして誉められたり誇ったりするようだが、僕はそうは思わない。仕事を予定通りこなすことができずオーバーフローしてるんだから、休日出勤は恥だ。

2013年1月26日土曜日

1000連載

数日前にこのブログの連載が1000回を超えた。
元々は農業で自立できた時に普通のサラリーマンが農家になるためのマニュアル的な本を書きたくて、記録の為に始めたのだが、なかなか自立できないのでとうとうこんなに書き続けている。
いつの間にか習慣になり、読んでくれている人もいてくれるので、今後も続けようと思う。

2013年1月25日金曜日

ある新年会

牛窓町農業振興会と瀬戸内市後継者クラブ?の合同新年会に参加させてもらう。とにかく顔を覚えてもらわなおいと。役所、JA、農業者集めて30人位が来ていた。白菜・キャベツの生産者がほとんどだったがやっと地元の農業者のグループにはいることができた。
みんなよく飲むしよく話す。
これからも参加したい。

2013年1月24日木曜日

誉められた

県の普及員とJAの指導員の人がハウスに寄ってくれた。時々来てくれて色々親切に指導してくれるので毎日来てほしいくらいなのだが。別件で忙しいらしく3か月ぶりくらいかな。
とにかくトマトの味・成り具合、病害虫をきちんと押さえることができていることをとても誉めてくれた。この人たちは嘘をついたりおべんちゃらを使ったりするような人じゃないので嬉しい。

2013年1月23日水曜日

灰カビ対策

ようやく3日間の留守の遅れに追いついた。
ハウスの見回りを念入りにして掃除をした。灰カビが大玉によく出るので治療薬として重曹の水溶液をスプレーに入れて持ち運んでいる。重曹はカビの水分を吸い上げカビを殺してしまう。ナメクジに塩みたいなもんだ。キレイになった。
明日からはフルティカのハカキをする。

2013年1月22日火曜日

選果機欲しい

袋詰めする前にトマトを一つ一つタオルで拭いている。拭く機能がついている選果機の予備があるそうだがどういうわけだか修理するという割には一向に修理が始まらない。袋詰めよりも拭く作業に時間がとられているのは非常に惜しい。そのお陰で他の作業に手が回らない。

2013年1月21日月曜日

現実に戻る

今日から現実に戻る。
思いのほか荒れてない。少し灰カビが増えたかな。
とにかくアイコを収穫する。どういうわけだかものすごくうまくなってる。フルティカも悪くない。
コレなら市場でお客さんがつくだろうと専務に言われた。社長もコレでいいといってくれているそうだ。

2013年1月20日日曜日

人生が変わっていく

二日酔いがひどくないのはカズキのお陰だと思う。あの人がヘパリーゼという飲み薬をじゃんじゃん進めてくれるのでコンディションはそんなに悪くない。
ホテルで朝ごはんを食べて定刻にバスに乗り宮崎空港に向かう。そこで大阪組と別れて、残った8人で車で宮崎市を案内してもらう。青島の丘の上に仏舎利と展望台がある。そこに上ると宮崎のビーチが一望できる。とても絶景で一望どころか地球の丸さが分かるくらい広範囲が見渡せるすばらしい景色だった。
そのあとみんなで昼ごはんを食べる。それから重さんの新居を見に行った。かなりきちんと整備された公園のようになっている防風林のそばにあって、防風林を抜けるとビーチがあるそうだ。更にココから職場も近い。重さんの人生は宮崎に移住したことで大きく開けた。
人は変わらなくても人生が変わっていく。

2013年1月19日土曜日

重夫の結婚式

重さんの結婚式当日だというのに酷いコンディションで目が覚める。とにかく行こう。駅ビルでうどんを食べる。麺がピカピカで旨い。宮崎は四国に面しているのでうどん文化が進んでいるのかもしれない。
宮崎空港に到着。ここで大阪からの数人と合流して、バスで2時間かけて都城市の会場に向かう。
途中山の中を少し走るが宮崎市も都城市も平野が広い。会場兼ホテルは老舗的な落ち着いた雰囲気だった。そこでタカと合流する。彼女と来るといっていたがいない。
重さんとお嫁さんが出てくる。明るく、しっかりしてて、よく気が付きそうないいこだった。
みんなで写真を撮った後、3時半頃から人前結婚式が始まる。睦がWitnessをしていた。適役だと思う。やつらは親友以上の仲だと誰もが思っている。そういう友達がいるのは珍しいし羨ましい。
少し時間を空けて4時半頃から披露宴が始まる。その席数がすごい。150くらいある。新婦側が120人ほど新郎側が20人ほど、らしい。土地柄なのかお家柄なのかすごい人数だ。
人数もすごいがイベントも盛りだくさんですごかった。まずサプライズで地元FMのDJ POCKYさんが現れて司会を始めた。それからプロジェクターを多用して、二人の生い立ちから出会いから結婚までを流したり。乾杯までに3人の挨拶があったり前半からずっしりしていた。乾杯の音頭は僕が取らせてもらうことになっていた。乾杯といっても軽いスピーチがつきもので、スピーチはうまくないのだがせっかく重さんのご指名なので腹を決めて引き受けた。数日前から何を言おうか考えて頭の中で話してみたり書き直したりして概ね筋をつけておいた。それが良かったのか僕のスピーチ史上一番の出来といっても言えるものだった。忘れたくないので何を言ったか書いておこう。
” ただ今ご紹介いただきました、新郎の友人の浦田です。ご両家の皆様本日はおめでとうございます。
重夫さんとは20年前シドニーのボンダイビーチで会いました。あった時の印象は、男前やなというのとよく働く奴やなというものでした。それは今でもお変わりないようですが。
その時期に重夫さんに会った友人たちが今日来ています。外国で出会ったので共通点は日本から来ているというだけで住んでいるところはバラバラです。ですから東京から来ているというやつもいます。結婚をするという知らせを重夫さんから聞いたとき、行きたいけど遠いからどうしようかなと思っていたのですが、実際式の日が近づいてみると、一人二人と行く人数が増えていきました。自然に人が集まる感じが重夫さんらしくていいなぁと思いました。そして、重夫さんを大切に思う人たちと今日のお祝いの席に参加させていただけることを嬉しく思います。
本日は本当におめでとうございます。
・・・・、お待たせいたしました。
お二人のお幸せをお祈りして・・・・・乾杯!”
俺はね。手ごたえを感じて自信満々で席に帰ったよ。やっとうまくできたって思ったね。重さんチャンスをくれてありがとう。
その後、花嫁さんは、鮮やかな水色ベースのウチカケから、純白のウェディングドレスへ、それから赤系ドレスへと、2度お色直しをした。きれいだった。そしてお色直しの最中も新婦のお父さんの友達が矢沢栄吉そっくりの物まねで歌を歌うとかなんとかで余興が続いた。
それから新郎新婦それぞれの友達がスピーチをした。こっちはタカがしたんだけど、せっかく文章考えてきてマイクを使った割には声小さくて全く聞こえなかった。
それで花束の贈呈から両親への挨拶、両家の挨拶があって、最後に万歳三唱までして宴は終わった。終わったのが7時半だから、披露宴は3時間くらいたっぷりあった。こんな楽しい披露宴はじめてだ。
そこから少し休憩して8時から二次会が始まる。こちらは打って変わって参加人数も20人ほどと普通のサイズだった。しかしココからが長い。ホテルに帰ってみんなが寝静まるまでに何人も買い物に出かけ飲みを繰り返した。

2013年1月18日金曜日

宮崎へ

5時に起き、6時に家を出、7時に山陽ICからバスに乗り、9時半に伊丹空港について、10時45分に飛行機に乗り、11時50分に宮崎空港に着いて、12時半にホテルにチェックインした。家を出てから6時間半。今日から3日間宮崎を楽しむ。明日は重夫の結婚式に出席する。
空港を出た瞬間明るい。駅を出るとさらに明るい。町はゆったりとしていて人は陽気に見える。人は少ないのに商店街は栄えていてレストランやバーも結構多い。
宮崎の名物はチキン南蛮らしく早速食べに行く。おぐら、という老舗だった。胸肉のチキンフライとほぼ同量の特性タルタルソースがかかっている、そこにコールスローとねじりパスタが添えられている。食べきるのに苦労した。
そのあと腹ごなしに川沿いを歩いたり、県庁を観光したりする。宮崎県庁は観光スポットになっていて県庁前のガードマンは”いらっしゃいませ二階へどうぞ”と言う。古い建物をタップリ見学できるようになっている。
夕方、数日前にこっちに来ていた睦弥と合流する。やつも新婚ほやほやで奥さんには初めて合わせてもらう。若いのにしっかりしている。お互い大事にしあっている感じが伝わってきて安心する。
9時ごろに一幾が合流し夜中まで久しぶりの再会を喜ぶ。たぶん晋司の結婚式以来だから3年ぶりだった。
夜はクラッシュする。

2013年1月17日木曜日

3日間開ける準備

今日は忙しい。明日から3日間、重さんの結婚式のために宮崎に行くため、その準備をした上、午後はトータルサポート事業の書類審査があり岡山に行く。
準備としては誘引と収穫をしっかりしておくこと。数日前から始めておいたので何とか完了。
書類審査は事前打ち合わせのとおり変更して、プレゼンをしてほぼ完了。県民局の人が僕らの夫婦仲をほめてくれたのでJAの融資担当の人の顔も緩む。

2013年1月16日水曜日

誕生日を祝う

2月2日は俺の誕生日で、2月22日はタケちゃんの誕生日なので、中間くらいにお互いの誕生日を祝うことになっている。今年は2月16、17日にそれをする。
ホテルの予約はした。昼間二人で入るスタジオの候補も決まった。そのその後飲みに行く場所も大体決まった。
俺は後厄に入り、タケちゃんは本厄に入る。

2013年1月15日火曜日

糖度

糖度をはかってみた。
大玉: 6.5 中玉: 7.0 ミニ: 8.0
普通だな。
こいつらをどうやっておいしくしようか。

2013年1月14日月曜日

お日まち

集落の、お日まち、という行事に参加させてもらう。
太陽信仰の儀式だそうだ。丹波にもあった。
ここのは古風だった。公民館にみんな集まって儀式をする。
床の間の掛け軸には、天照大御神、と書かれていて、榊が重ねてある。左右の三方には白菜、ネギなど今の収穫が盛られている。さらに干し鯵が2匹縄で吊るされている。
その前に宮司さんが正装をして座り祝詞をあげる。その声の抑揚が独特で黒沢映画の羅生門のイタコがそんな声調だった。村人には祝詞の冊子が配られていて宮司に続いてよむ。都合30分くらいで儀式は終わり。そのあと宴会に入る。
2時間くらいで解散したが昔は日の出まで宴会をしたそうだ。

2013年1月13日日曜日

無印の家

無印良品は家まで作っている。岡山市にモデルハウスがあってふらりと立ち寄ったのが12月。今日は工事現場の見学に行く。
SE構法という方法で特別なジョイント金具を使い超高気密住宅を作っている。外断熱されており壁・屋根だけでなく基礎も断熱材で包まれている。エアコン1台で夏冬とも家じゅう快適に暮らせるそうだ。

2013年1月12日土曜日

バイオハザード6

何もしない土曜日がないと俺は生きてはいけない。
今日は一日バイオハザード6をする。25歳の時プレステでBH1をやってからこれまでずっと欠かしたことない。
BHというのはそれまでになかったホラーゲームのハシリだったんじゃないかな。それまでのゲームというと子供が見ても教育に悪くない範囲で作られていたが、これは悪い。欲丸出しの政治家・科学者・軍人、生物兵器、ゾンビ、殺戮がステージでこれを生き抜いていくという絶対嫌な設定だが面白い。言わなくても知ってると思うけど・・・。

2013年1月11日金曜日

円安歓迎

最近円相場が熱い。アメリカの財政の崖回避のため減税措置延長、日本の政権交代円高対策景気刺激策、などが影響して急激に円安に傾いている。他色々あるんだろうけど諸説あってよくわからない。
NZドルを少々持っている僕にとっては好都合だ。
輸出業の人たちも一安心してるだろう。
だろうか?今の日本に売るものはあるのかな?

2013年1月10日木曜日

蜂を入れよう

そろそろ蜂を入れる段取りに入ろうと思う。
蜂屋さんに入れてもいい環境を確認してみると
・ 概ね逃げないように囲ってあること
・ 花粉が十分出ていること
だそうだ。あと心配なのは温度調整なのだがそれは電気コタツで調整することにしよう。
今月中に決行予定。

2013年1月9日水曜日

プチプチ完了

冬の寒さも折り返しているというのに、ようやく保温用のプチプチが届いた。20Mほど不足していたのでようやく外周全てを包むことができた。出入り口は巻上げられるようにして保温性と利便性を両立させた。ちょっとした工夫で作業環境を浴することができる。出入りしにくいハウス多いからなぁ。

2013年1月8日火曜日

BT剤

12月20日にBT剤を散布した。散布の1週間後くらいまでは生きている青虫の姿を見かけたのだが、それ以降は全く見かけない。それ以降も発生していない。
遅効性だが確実に効くようだ。バチルスチュリングスという納豆菌の一種なので安全といえる。それが確実に効くんだから心強い。マルハナバチへの残効が7日もあるスピノエースはたとえ有機JAS対応と言えど使いたくない。

2013年1月7日月曜日

予備審査

岡山で受けようとしているトータルサポート事業の書類審査の予備審査の為、県民局に行く。
用件は僕が立てている経営計画が現実に則しているかどうかを審査するという訳だ。
その中で僕は無利子の借金制度から借り入れを希望している。そこが話の肝になり、大幅に書き換えを求められた。要点はこうだ。
・ 収量・単価は県内過去5年間の実績をまとめた経営指標に基づいていること。
・ 借金の窓口は農協になるため農協を通じた出荷を行うこと。
・ 法定貸付限度額は一応はあるが前例の範囲でしか貸すことができないこと。

2013年1月6日日曜日

B in Australia

俺の親友のうちの一人はオーストラリア人でBという。こないだ会ったAは彼のEXなわけだ。Bとはかれこれ20年の付き合いになる。付き合いといっても会う回数はすくないが親友は親友だ。多分奴もそう思っている。
EXと娘が日本に帰ってしまっているのでどうしてるんだろうと様子伺いに電話をしてみたら、なんともノンビリといつもどおりだった。
彼が言っていることは大阪弁に約しやすいと思えるくらい感覚を同期させて英語で話すことのできる相手だ。

2013年1月5日土曜日

予防初め

晴れているのでAMのうちに予防を済ませる。
その前に落とした葉と黄化葉巻と灰カビを徹底的に片付ける。
今日のレシピは
・ マイコタール(微生物) : コナジラミ
・ 重曹 : 灰カビ治療
・ ボトキラー(微生物) : 灰カビ予防
途中薬剤が無くなって作り直しその際コロマイト(天然物質)を添加するのだがいくら有機JASで認められている天然物質とは言え、化学的加工が施されている薬なので、上記3点とは臭いと疲労度が全く違い、臭く、疲れた。コレだけからだがはっきり反応するんだから、有機JASでOKという理由で安全かどうかを決めるのは疑わしいことを実感する。体で感じればいいのだ。
  

2013年1月4日金曜日

通常に戻る

今日から通常に戻る。
年末にはしっかり手入れ・収穫をしておいたので全く荒れていない。3日間くらいならあけることができるようだ。とは言っても少し灰カビが広がっているようなので明日にでも治療予防をしようと思う。
その前にしっかりと収穫・袋詰めをしなければ・・・。
妻とかなりがんばってアイコ・フルティカの収穫・袋詰めを終わらせた。
いつもありがとう。ご苦労様でした。

2013年1月3日木曜日

芦屋へ

昼ごはんまで実家で過ごし、夕方にはオーストラリアから一時帰国しているAに会うため芦屋に向かう。いつものことながらこの人は何かがあふれている。
日本人向けの職が少ないゴールドコーストでいい仕事についていたらしいが、失礼極まりない上司のヒステリーに愛想を尽かし、あっさり辞めてやった、などと話している様子が、潔くて気持ちいい。
数時間はなした後別れ、僕らは岡山に向かう。

2013年1月2日水曜日

実家へ

実家に向かうのだが、昨日の深酒がこたえて早起きできず1時に家をでることに。
少し渋滞に巻き込まれ実家に到着が5時になってします。みんな揃って待っている。
体調は良くないのでご馳走は食べることができないものの、両親、妹、姪や甥と暖かく過ごした。マイドのことながらおばあちゃんには特別歓迎された。おばあちゃんの中では僕はまだ小さな子どものままのようだ。無条件に僕をあんなに喜んでくれる人は地球上におばあちゃん意外にはいない。

2013年1月1日火曜日

お正月

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
4年日記を始めたのでブログを続けるかどうか迷いましたができるところまで続けていきます。

とても静かな正月で集落の中はひっそりとしている。
20枚ほどの年賀状を見ながらおせちをつまんで、お酒を飲み始める前に牛窓神社に初詣に行った。牛窓神社は海沿いの丘の上にあり徒歩だと30分ほどかけて階段を上っていく。元日に神社から海を見下ろしたのは始めてだ。お参りに並ぶ人の行列に10分程並んだ。引いたおみくじは末吉だった。なんと平凡な始まり。