2013年1月19日土曜日

重夫の結婚式

重さんの結婚式当日だというのに酷いコンディションで目が覚める。とにかく行こう。駅ビルでうどんを食べる。麺がピカピカで旨い。宮崎は四国に面しているのでうどん文化が進んでいるのかもしれない。
宮崎空港に到着。ここで大阪からの数人と合流して、バスで2時間かけて都城市の会場に向かう。
途中山の中を少し走るが宮崎市も都城市も平野が広い。会場兼ホテルは老舗的な落ち着いた雰囲気だった。そこでタカと合流する。彼女と来るといっていたがいない。
重さんとお嫁さんが出てくる。明るく、しっかりしてて、よく気が付きそうないいこだった。
みんなで写真を撮った後、3時半頃から人前結婚式が始まる。睦がWitnessをしていた。適役だと思う。やつらは親友以上の仲だと誰もが思っている。そういう友達がいるのは珍しいし羨ましい。
少し時間を空けて4時半頃から披露宴が始まる。その席数がすごい。150くらいある。新婦側が120人ほど新郎側が20人ほど、らしい。土地柄なのかお家柄なのかすごい人数だ。
人数もすごいがイベントも盛りだくさんですごかった。まずサプライズで地元FMのDJ POCKYさんが現れて司会を始めた。それからプロジェクターを多用して、二人の生い立ちから出会いから結婚までを流したり。乾杯までに3人の挨拶があったり前半からずっしりしていた。乾杯の音頭は僕が取らせてもらうことになっていた。乾杯といっても軽いスピーチがつきもので、スピーチはうまくないのだがせっかく重さんのご指名なので腹を決めて引き受けた。数日前から何を言おうか考えて頭の中で話してみたり書き直したりして概ね筋をつけておいた。それが良かったのか僕のスピーチ史上一番の出来といっても言えるものだった。忘れたくないので何を言ったか書いておこう。
” ただ今ご紹介いただきました、新郎の友人の浦田です。ご両家の皆様本日はおめでとうございます。
重夫さんとは20年前シドニーのボンダイビーチで会いました。あった時の印象は、男前やなというのとよく働く奴やなというものでした。それは今でもお変わりないようですが。
その時期に重夫さんに会った友人たちが今日来ています。外国で出会ったので共通点は日本から来ているというだけで住んでいるところはバラバラです。ですから東京から来ているというやつもいます。結婚をするという知らせを重夫さんから聞いたとき、行きたいけど遠いからどうしようかなと思っていたのですが、実際式の日が近づいてみると、一人二人と行く人数が増えていきました。自然に人が集まる感じが重夫さんらしくていいなぁと思いました。そして、重夫さんを大切に思う人たちと今日のお祝いの席に参加させていただけることを嬉しく思います。
本日は本当におめでとうございます。
・・・・、お待たせいたしました。
お二人のお幸せをお祈りして・・・・・乾杯!”
俺はね。手ごたえを感じて自信満々で席に帰ったよ。やっとうまくできたって思ったね。重さんチャンスをくれてありがとう。
その後、花嫁さんは、鮮やかな水色ベースのウチカケから、純白のウェディングドレスへ、それから赤系ドレスへと、2度お色直しをした。きれいだった。そしてお色直しの最中も新婦のお父さんの友達が矢沢栄吉そっくりの物まねで歌を歌うとかなんとかで余興が続いた。
それから新郎新婦それぞれの友達がスピーチをした。こっちはタカがしたんだけど、せっかく文章考えてきてマイクを使った割には声小さくて全く聞こえなかった。
それで花束の贈呈から両親への挨拶、両家の挨拶があって、最後に万歳三唱までして宴は終わった。終わったのが7時半だから、披露宴は3時間くらいたっぷりあった。こんな楽しい披露宴はじめてだ。
そこから少し休憩して8時から二次会が始まる。こちらは打って変わって参加人数も20人ほどと普通のサイズだった。しかしココからが長い。ホテルに帰ってみんなが寝静まるまでに何人も買い物に出かけ飲みを繰り返した。

0 件のコメント:

コメントを投稿